「確かさのうちにある」 02.09.22
ルカ3:12〜19
<わたしたちは主キリストに結ばれている>と、はっきり言われます。
この「わたしたち」の中には、今ここにいる「わたしたち」も含まれて
います。私たちがそう言えるのは、主イエスが、私たちを捕らえ、
私たちに結びついていてくださるからです。
「主に結ばれている」と喜び語りながら、人生を進めて行けることは
とても幸いなことです。なぜなら、自分に結びついていてくださる
お方は、救い主であられるからです。
それゆえ、主による救いのうちに、確かに置かれているからです。
主は、私の罪を全部担って十字架にかかってくださり、罪を取り除き
私を救いにふさわしいものに変えてしまわれたお方です。
年を重ね、多くの経験を重ねることによって、喜ばしい経験と同時に
罪を犯してしまったことの後悔や罪ゆえの重荷を背負います。
その責任は負わなければなりません。
しかし、わたしたちは救い主に結ばれた者です。それゆえ、
究極のところでは、自分の生涯で犯した罪を数え上げるのでなく、
主に罪を赦された恵みを数えることができるのです。
主に結ばれた私たちの生涯を振り返りますと、その時々に応じて、
たくさんの神の愛が注がれていたことに気づかされます。思わぬ
仕方で、教会へ導き、信仰生活を支えてくださり、救いへ招き入れて
くださった神の愛を受けているからこそ、今の信仰生活があります。
<愛の広さ、長さ、高さ、深さ>を感じる出来事はたくさんあるはずです。
しかし、神さまの愛は、今の私たちが知っているよりも、ずっと広く、
長く、高く、深いのです。そして、この愛は、なお注がれるのです。
「神の愛は過去のある時が絶頂で、これからはだんだん少なくなって
いく」と言うようなものではありません。
「ついには、満ちあふれる豊かさのすべてにあずかり、満たされる」と
言われるように、わたしたちの生涯の先には、今味わっている愛よりも、
もっと大きな豊かさが用意されています。それが私たちの進んでいく先です。